東京地方裁判所 昭和63年(特わ)1115号 判決 1988年11月25日
主文
被告人を懲役一年二月に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
押収してある覚せい剤(但し、ビニール袋入りのもの)一袋(昭和六三年押第一一〇一号の1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、いずれも法定の除外事由がないのに、
第一 昭和六三年四月二九日ころ、東京都江東区<住所省略>被告人方において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約0.01グラムを含有する水溶液約0.25立方センチメートルを自己の左腕に注射し、もって、覚せい剤を使用し
第二 同月三〇日、前記被告人方において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶0.177グラム(昭和六三年押第一一〇一号の1はその鑑定残量)を所持し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(補足説明)
弁護人は、被告人に対しては、当時、本件とは異なる別件の覚せい剤取締法違反の被疑事実について捜索差押許可状が発布されていたが、本件覚せい剤の押収は右令状とは関係がないので、警察官職務執行法所定の職務質問に伴う所持品検査として初めて許容されるものであると解されるのに、捜査官は強制力を用いて捜索をし、しかも、その強制力の行使は極めて強度であり、したがって、本件覚せい剤は違法な手続によって押収されたものというべきである。また、その後に被告人から尿を任意提出させた手続も、右のとおり違法に差し押さえた覚せい剤に基づいて被告人を現行犯逮捕し、警察署に連行した状況を直接利用したものであるから違法であり、右覚せい剤及び尿について作成された鑑定書は、右のような一連の違法な手続によって押収された覚せい剤及び尿について作成されたもので、右各手続の違法はまことに重大であって、これらを証拠として許容することが違法な捜査の抑制の見地に立って相当でないというべきであるから、本件覚せい剤及び尿並びにこれらについて作成された鑑定書はいずれも違法収集証拠としてその証拠能力は否定されるべきであり、本件起訴に係る各公訴事実については結局これを認めるに足りる証拠がないことになるから、被告人は無罪であると主張するので、以下、当裁判所が右各証拠について証拠能力を認めた理由を補足して説明する。
一 証人武田速夫の当公判廷における供述、司法警察員作成の昭和六三年五月一五日付写真撮影報告書(不同意部分を除く)、現行犯人逮捕手続書(抄本)、被告人の検察官(同月一九日付)及び司法警察員(同月一日付)に対する各供述調書その他関係証拠を総合すると、本件覚せい剤の差押及び尿の任意提出等の経過は次のとおりであると認められる。すなわち、警視庁小岩警察署刑事課暴力犯捜査係では、被告人に対する別件の覚せい剤取締法違反事件(覚せい剤の所持及び譲渡事犯)について内偵捜査をしていたが、昭和六三年四月二六日、江戸川簡易裁判所裁判官から、被告人を被疑者とし、被疑事実を覚せい剤取締法違反(所持)、捜索場所を被告人の肩書住居、差し押さえるべき物件を右被疑事実に関係ある取引メモ、連絡メモ、住所録、電話番号控、小分け道具類とする捜索差押許可状の発布を受け、同月三〇日、同係所属の武田巡査部長らは、右許可状により捜索差押を行うべく、警視庁第一機動捜査隊の応援を得て、五名で被告人方に向かった。同日午後五時二三分ころ、被告人方に到着した警察官らは、被告人に玄関ドアを開けさせて中に入り、武田巡査部長が右許可状を被告人に示して捜索差押を行う旨を告げた上、被告人を立会人として、被告人方台所から捜索を開始した。右捜索の当初、被告人は台所にいたが、その落ち着きのない態度に白井巡査部長が不審を抱き、所持品を見せてもらいたい旨被告人に告げたところ、被告人は顔面蒼白となり、着用していたズボンの右後ろポケットに右手を入れて何かを取り出す仕草をし、右手を固く握りしめたまま後ずさりをするようにして隣室の六畳間へ移動した。これを見た白井巡査部長とその場で被告人の右の挙動に気付いた大塚警部補及び武田巡査部長らは、被告人が右許可状記載の差し押さえるべき物件を右手に握っているのではないかとの強い疑いを抱き、直ちに被告人に対して手に持っている物を出すよう口々に説得しながら被告人に近寄った。これに対し、被告人は、六畳間南側の腰高窓に近付き、右手を上に振り上げて握っていた物を都営住宅一二階に位置する被告人方居室の一部開け放たれていた右窓から外に投げ捨てようとする動作に出た。そこで、警察官らは直ちに被告人の投棄行為を制止すべく、まず白井巡査部長が被告人の振り上げていた右腕を掴んでこれを下に降ろすとともに武田巡査部長と大塚警部補も被告人の両腕を押さえ込み、被告人に右手を開いて握っている物を呈示するよう引き続き説得したが、被告人はこれを拒否して右手を固く握りしめたまま開こうとしなかったばかりか、大声を出して泣き叫び、押さえている警察官の手を振りほどこうとして必死になって暴れて抵抗を続けた。警察官らは被告人が余りにも激しく抵抗するので説得することを断念し、大塚警部補が被告人の右手首を掴み、白井巡査部長が被告人の右手指を小指から順次一本ずつはがすようにして手を開けたところ、掌中から、ビニール袋入りの覚せい剤様の白い結晶が見つかった。警察官らは右捜索差押に係る被疑事実とは別の新たな覚せい剤所持の疑いが認められたので、右結晶につき、被告人の同意を得てその面前で覚せい剤試薬による予試験を実施し、その結果、これが覚せい剤であることが判明した。そして、武田巡査部長らは、同日午後五時二八分、被告人を覚せい剤取締法違反(覚せい剤所持)の現行犯人として逮捕するとともに右覚せい剤一袋を差し押さえ、さらに被告人方の捜索を続けた後、被告人を小岩警察署に連行し、同日、被告人の承諾を得てその尿の任意提出を受けた。
二 ところで、被告人は、当公判廷において、捜索差押を受けた際の状況につき、本件覚せい剤入りのビニール袋は、マッチ箱に入れて台所のワゴンの上においていたところ、被告人は捜索差押のため被告人方居室内に入ってきた警察官らにより六畳間に座って動かないようにと指示されたのでこれに従い、一方、警察官らは直ちに手分けして台所や押入の中等の捜索を開始し、被告人の座っていた隣では武田巡査部長が電話の受話器の蓋をはずすなどして調べていたが、被告人は右マッチ箱の中の覚せい剤が発見されることを恐れてこれを隠すため台所に行こうと考え、水を飲みたいと警察官に言ったがその場を動くことを禁じられ、水は警察官が六畳間に運んできた。そこで、今度は煙草が吸いたいから台所にマッチを取りに行くと言うと、武田巡査部長が許可してくれたので、歩いて台所へ行き、ワゴンの上からマッチ箱を取り、六畳間に帰る途中で警察官の目を盗んで覚せい剤の入ったビニール袋をマッチ箱から取り出してズボンの右後ろポケットに隠して六畳間に戻り、元どおりに座って煙草を吸ったが、一本吸い終わったとき、警察官から何かポケットに入っているのではないかと言われて、初めは黙っていたが、覚せい剤が発見されるのではないかと不安になり、立ち上がってズボンのポケットから覚せい剤入りビニール袋を取り出して右手に握ったところ、警察官らに腕を掴まれて指をこじ開けられたものであり、その間、窓の外に覚せい剤を投げ捨てるつもりもなければ、右腕を振り上げるような動作をしたこともなく、警察官に掴まれた腕が痛かったのでこれを振りほどこうとして腕を動かしたにすぎなかったものであると供述する。しかしながら、捜索差押許可状に基づいて被告人方居室内を現に捜索中の警察官が、立会人である被告人に対して席を動いて台所に水を飲みに行くことを禁じていながら、その一方で被告人が煙草を吸うため台所にマッチを取りに行くことを許可したり、あるいは被告人自身を被疑者とする覚せい剤所持事犯について発布された令状を執行中の警察官が、被告人の動静を十分注視することなく、被告人がマッチ箱からビニール袋を取り出してズボンのポケットに隠匿するのに全く気付かなかったというのは極めて不自然であり、また、一方、当時被告人が置かれていた立場、状況を考えると、被告人が覚せい剤が発見されることを恐れて投棄行為に出ようとするのはむしろ自然であって、前示のとおり被告人は公判廷で投棄しようとしたことはない旨供述するものの、覚せい剤をポケットから取り出した理由について説明するところは曖昧で合理性を欠き、被告人が捜査段階ではこれを認める供述をしていたことなどを考慮すると、前記認定に反する被告人の公判供述は措信しがたいものというべきである。
三 以上の認定事実に基づき、警察官が被告人が握りしめていた右手の指を一本ずつはがして手を開き、ビニール袋入りの覚せい剤様の白い結晶を見つけた行為が、弁護人主張のように、警職法に基づく職務質問に伴う所持品検査としてなされたもので違法なものであるかどうかにつき判断する。
警職法による職務質問及びこれに付随して行われる所持品検査は、原則として所持人の承諾を得て任意に行われることを要するものと解されるので、成程、警察官が無理に被告人の右手の指を一本ずつ開けた行為を右所持品検査とみる限り、本件は、被告人の承諾を得て任意に行われたものと認められず、その適法性に疑いが生じ得る。ところが、本件においては、被告人自身を被疑者とする覚せい剤所持事犯について被告人方を捜索場所とする捜索差押許可状が発布されていたのであるから、右許可状により被告人の身体に対しても強制力の行使ができるか否かが検討されなければならない。刑訴法が、捜索状の方式として捜査すべき場所と人の身体とを明確に区別していること、及び、場所という一定の空間と人格を有する人の身体とは強制処分を行う際に自ずから差異があることなどからして、特定の場所を捜索の対象とする捜索令状によって、その場所に現在する人の身体に対しても当然に捜索を行うことができるとまでは解することができないものの、当該捜索場所に対する捜索の目的を遺漏なく達成する必要があるので、捜査官において、捜索場所に現在する人が捜索の目的物(差し押さえるべき物)を所持していると疑うに足りる十分な状況があり、直ちにその目的物を確保する必要性と緊急性とがあると認めた場合には、場所に対する捜索令状によりその人の身体に対しても強制力を用いて捜索をすることができるものと解すべきである。これを本件についてみると、被告人が捜索開始の当初から捜索場所に現在し、その挙動に落ち着きがなく、警察官が所持品の呈示を求めるや、ズボンの右後ろポケットから何か品物を取り出した上、警察官の説得にも応じようとせず、開いていた窓からそれを投棄しようとするに及び、これを警察官が制止してさらに見せるよう説得しても、なおも大声を出して泣き叫び、被告人を押さえていた警察官の手を振りほどこうとして暴れて抵抗を続けたという一連の不審な挙動があったのであるから、これらの点に徴すると、捜査官において、被告人が差し押さえるべき目的物を所持していると疑うに足りる十分な状況があり、かつ、その物を確保する必要性及び緊急性があったことは明らかであるので、警察官が被告人の指を無理に開いた行為は、右許可状に基づき、被告人の身体に対する捜索として行われた強制処分として適法であったものと認められる。もっとも、令状の執行に伴う強制力の行使も無制約なものではなく、執行目的を達成するため必要かつ妥当な範囲内のものに限られ、社会的に相当であることを要するが、本件における被告人の抵抗状況に徴すると、警察官三人が被告人の腕を取り、うち一名が被告人の指を無理に開けさせた行為は、強制力の行使の程度において、必要最小限度の方法というべきで、相当性の範囲を逸脱するとは認められないので、右令状の執行に伴う強制力の行使にも何ら違法のかどは存在しない。そして、警察官は、右捜索に基づいて本件覚せい剤を発見したが、これは右許可状に基づく差し押える物に含まれるものではなかったので、被告人の同意を得て、予試験を実施してこれが覚せい剤であることを確認し、新たな覚せい剤所持の容疑で被告人を現行犯人として逮捕するとともに本件覚せい剤を差し押さえたのであり、右一連の手続過程に弁護人の主張するような違法はないものというべきである。
したがって、弁護人の主張はその前提となる事実を異にするもので理由がないといわざるを得ず、本件覚せい剤及び尿並びにこれらについて作成された鑑定書については、いずれも証拠能力が認められることは明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第二の所為は同法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重いと認める判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、押収してある覚せい剤(但し、ビニール袋入りのもの)一袋(昭和六三年押第一一〇一号の1)は判示第二の罪に係る覚せい剤で被告人の所有するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は、被告人が自宅で覚せい剤を使用し、また、その残量を所持していたという事案であるが、被告人は昭和六一年六月六日本件と同じ覚せい剤事犯(覚せい剤の譲渡及び所持罪)により懲役二年、四年間保護観察付執行猶予の判決の言渡を受けており、したがって、本件犯行当時右刑の執行猶予期間中の身であった者であり、厳しく自重自戒しなければならなかったにもかかわらず、安易に犯行に及んだものであって、しかも、判示第二の覚せい剤所持の現行犯人として検挙された際には自己の犯行の発覚を免れるべく、警察官の面前で証拠隠滅行為に及ぼうとするなどしており、こうした事情を併せ考えてみると、犯情は芳しくなく、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。
してみると、被告人が、その後犯行を素直に認めており、今後は幼い孫のためにも同じ過ちを繰り返さない旨述べて反省悔悟の情を示していること、その他被告人の経歴、境遇、家庭状況等被告人のために有利と思われる事情を十分に斟酌してみても、主文掲記の量刑はやむを得ないものと思料される。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岡村稔 裁判官川上拓一 裁判官大野勝則)